下門組の山車「八幡車」

名称「八幡車」は下門区に古くから祀られている「八幡社」に由来している。

<建造年>不祥

前檀の一部材に安政六年(1859)の墨書があることから、この山車の原型は江戸時代から曳き廻されていたものと思われる。
その後、明治時代の中頃に(こわ)れたため、大正末期に大改造されたか、他の地域から購入したか、譲渡を受けたか、している。

<附>
最近の研究(平成17年12月)において、美浜町河和北組にある天保14年
(1843)の記録に「下車壱丈長尾村下紋組江賣拂申候」とあり、当時の下紋(現下門)組は美浜町河和北組から祭車を購入していたことが解る。
このことは翌年(天保15年)の下門組の記録に「飾り人形が載せられた地下車」とあることから、今のような山車かどうかは不明であるが存在は確認できる。

<寸法 高さ:約5.5m、幅:約2.2m、長さ:5.4m

<代表彫刻

檀箱だんばこ 八岐大蛇  作者>初代彫常(大正12年)(1923)
障子わきしょうじ 神武東征  作者>初代彫常(大正12年)
前山懸魚まえやまけぎょ 費長房  作者>初代彫常(大正12年)
持送り 角つなぎ  作者>初代彫常(大正12年)
かえるまた 松に鳩 作者>初代彫常(大正12年)
蹴込み 老松に鳩 作者>榊原冬花(昭和59年)(1984)
上山懸魚うわやまけぎょ 智雲仙人 作者>竹内金治(平成9年)(1997)
前山蟇股 唐子遊び 作者>不祥(江戸末期)
瓶鰭たいへいびれ   作者>不祥(江戸末期

山車の特長>
典型的な知多型(2層構造)
車輪(直径93cm、幅35cm)、車軸とも材質は木製。
前山では幼少の応神天皇、上山では神功皇后と武内宿禰のからくり人形が舞う。

大幕 ()羅紗(らしゃ)()  大正12年
水引 濃緑地「飛鷺の刺繍」 旧幕>大正12年、新幕>昭和60年
追幕 緋羅紗地「八幡車の刺繍」 旧幕>大正末期、 新幕>平成元年

<からくり人形>

前山 天皇 おうじんてんのう 作者>六代目玉屋庄兵衛(大正12年)
上山 皇后じんぐうこうごう
武内宿禰
たけのうちのすくね
作者>六代目玉屋庄兵衛(大正12年)
作者>六代目玉屋庄兵衛(大正12年)
前山
舞謡
能楽「八幡」の一部 作者>世阿弥三郎元清(室町時代)
上山
舞謡
能楽「金 」の一部 作者>世阿弥三郎元清(室町時代)

                

下門区にある八幡社の由来 

鎮座地 愛知県知多郡武豊町字下門70番地
神社名 八幡社
祭 神 譽田別命(ホンダワケノミコト・應神天皇)
祭 儀 例祭 毎年8/15(陰暦)
社 殿 本殿(流造 0.43坪)・幄舎(瓦葺 1.5坪)・神門(瓦葺 間口5尺)
社務所兼公民館(45坪)
境内地 1,001.16坪
境内神社 秋葉社 (祭神 迦具土神(カグツチノカミ)


由  緒

八幡社の祀られた年月はあまりにも古く詳かではありませんが、郷記に「當長尾建始若宮前ニ家数十六軒氏神八幡宮」と出ていることや、若宮に貝塚や古墳群が存在し、土師、須恵の土器など多数発見されていることや、武雄神社、若宮に字金下(神奈備の下)字内鉋(神奈備の内ご神域の内)と云う萬葉の言葉(千二、三百年以前)が残されていることや、和名鈔(千年前)に生路の塩の事が載っていますが、この生路の氏神の楠の木の古さが、八幡社と同じ時代であることから、平安朝(千年前)かそれ以前の郷民によって祀られたものと考えられます。

承久の変(鎌倉時代中期)の後、岩田氏が本国山城国から当地に来て館を構え、戦国時代に入って長尾城(六万石)を築き(今の上 ケ、下門を御城内御構内とし、字金下の城山を本丸とす)、武雄神社(従三位の神階を有し国司所祭の礼を受け、本郷の氏神であった天王宮)を城内並びに領内鎮護の社と崇めたので武神であり、城下の人々の信仰厚い八幡宮を累代篤く尊信して武雄神社(天王宮)から八幡社への御旅の神事が行われていたものであります。

永禄4年(桶狭間の戦いの翌年)岩田左京亮安廣が長尾城主の地位を去って、再び武雄神社が氏神と崇められるに及んで八幡社を元氏神と称し、武雄神社の境外摂社である長尾7宮の筆頭神社となったのであります。 慶長年間に行われた伊奈備前守の御険地にも当社の御境内四反一畝廿五歩が御除地になっています。

明暦萬治寛文の頃(三百余年前)尾張藩士大嶋四郎兵衛(百伍拾石)当地に封ぜられ下門に居住のみぎりには、武雄神社(天王宮)の御祭礼に際し、自から宮本講頭となり、神興を寄進し、長尾城主の裔孫岩田眞七郎(山車眞七車を寄附)並に宮本総氏子中打揃って奉仕し武雄神社のお神興が六月十三日八幡社の潔斎殿(御旅所)へ御幸、翌十四日 本宮である武雄神社に御還幸になったこと、この御祭礼が近辺無双の大祭礼であったことが、次の如く郷記に

「寛文以前大嶋殿居住ノ時節、大嶋四郎兵衛殿 岩田眞七郎殿並に宮本総氏子中打揃十三日(六月)試楽天王宮(武雄神社)神興、八幡宮潔斎殿へ御旅、本楽十四日八幡宮天王宮両社御神前ニ於テ御神楽執行後、神興本宮(武雄神社)ヘ御還幸、氏神前ニ於テ御神楽執行、相済候上、下向、近邉無双ノ大祭禮ニテ有シ由申傳ヘ、其ノ頃ノ神興ハ大嶋殿御寄進白木造リ杉ノ葉ヲ以ッテ屋根ヲ造ル古風ノ神興ニテ有シ由祭車ハ岩田眞七郎殿寄附ニテ中古迄眞七車ト唱エ候由」と記されています。

八幡社の御例祭は陰暦八月十五日の中秋の名月の日で、この日には、昼は村芝居、打上花火、夜は御神前、御神燈、手筒、段物等の花火が奉納され、近郷からの参拝者も多く高町も出て身動も出来ぬ盛大なものでした。

昭和52年9月25日
八幡社宮司  岩 田 重 治

 

祭り日の八幡神社と山車「八幡車」

八幡神社の古木「クスノキ」(右端>下門公民館)

正面>八幡社、左奥>秋葉社


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